
親や家族から愛されてないと感じていても、それが過去のすべてとは限りません。
断捨離中に昔の写真を見返した私は、怒ってばかりだと思っていた母が笑い、家族みんなが楽しそうに過ごしていたことに気づきました。
写真は、忘れていた愛を思い出させてくれるものなのかもしれません。今回は、そんな気持ちになった出来事を記事にしてみました。
断捨離で見つけた娘の昔の写真から気づいたこと
今日、断捨離をしていたら、久しぶりに娘の写真が出てきました。
娘は以前から、自分は友達関係があまりうまくいっていなかったという話をしていました。
そして最近では、自分がやりたいことを達成できず、何も上手くいかないと落ち込んでいました。
けれど、写真の中では、友達と楽しそうに笑い、先生たちとも自然な表情で写っていたんです。
ただ、娘の学生時代には、つらかったことだけではなく、誰かと笑い合った時間もちゃんとあったのだと分かりました。
写真を飾ることで思い出せる「がんばってきた時間」
娘が全国大会に出たときの写真も、見えない場所にしまわれていました。
せっかく頑張った証しなのに、しまったままでは、その経験自体を忘れてしまいます。
自分は何もかも上手く結果が出せていないと、自己否定をしてしまう娘。
でも、その気持ちとは反対であるかのように、たくさんの人に囲まれて、楽しそうな笑顔で写真を撮っている娘。
たくさんの愛に囲まれていることを思い出して欲しくて、その写真を、毎日目につくところに飾りました。
写真を見ると、結果だけではなく、そこまで努力したことや、周りに応援してくれた人がいたことまで思い出せます。
自分では「何もできなかった」と思う日があっても、写真は、
- その時できるベストを尽くして生きたこと
- たくさんの人の応援をもらって生きていたこと
そんな気持ちを、思い出せるのかもしれません。
写真は残してくれた人の存在と愛情を教えてくれる

娘と一緒に写真を見ながら、私はこう話しました。
「写真って、今まで意味がないと思っていたけど、自分が愛されていたことを思い出させてくれるものなんだね」
写真には、写っている本人だけではなく、その瞬間を残そうとした人の存在もあります。
- 写真を撮ってくれた人がいた
- 一緒に笑ってくれた人がいた
- 頑張る姿を見てくれていた人がいた
そのときは当たり前で気づかなかったつながりが、写真には残っているのだと思いました。
記憶のイメージとは違っていた昔の家族写真
娘の写真のあとに、私が若い頃の家族写真も出てきました。
父、姉、私、そして生前の母が写っている写真です。
私はずっと、うちの家族はあまり仲が良くなかったと思っていました。
母は怒ってばかりいて、家族の中にはいつも緊張感があった。
そんな印象が強く残っていたんです。
ところが写真の中では、家族みんなが旅行先らしい場所で楽しそうに笑っていました。
怒っている姿ばかりを覚えていた母も、笑顔で写っていました。
その写真を見て、私はとても驚きました。
誰も覚えていない時間も写真は事実を残してくれる
父と姉にも写真を見せて、
「これ、どこに行ったときだろう」
と聞いてみました。
けれど、父も姉も覚えていませんでした。
私も覚えていません。
どこへ行ったのかも、何を話したのかも分かりません。
それでも写真には、家族で出かけ、一緒に笑っていた時間が残っていました。
誰も覚えていないからといって、その時間がなかったことにはなりません。
写真だけが、忘れてしまった楽しい記憶を残してくれていたんです。
怒ってばかりだと思っていた母親が伝えようとしていた気持ち

写真の中で笑う母を見ていたら、忘れていたことも少しずつ思い出しました。
母は、家族みんながうまくいくように、一生懸命頑張ってくれていたんです。
旅行の計画をしてくれたのも、母でした。
家族で出かける機会をつくったり、みんなをまとめようとしたりしていました。
実際、写真に写っている私たち家族は、みんな笑顔で、楽しそうでした。
仲が悪く、亀裂が入っている家族には全く見えなかったんです。
「仲が悪かった」という思い込みだけで過去を決めつけない
写真を見ながら、私はふと思いました。
「うちの家族って、仲が良かったんだな」
何の問題もない家族だったという意味ではありません。
けんかした日も、傷ついた日もありました。
でも、それだけではなかったんです。
家族で出かけた日もあった。
一緒に笑った時間もあった。
母が家族の仲を良くしようと頑張っていたこともあった。
「仲が悪かった家族」という見方は、偏り過ぎていたのかもしれません。
過去の出来事は変わらなくても受け止め方は変えられる
過去が書き換わるというのは、起きた出来事そのものが変わることでありません。
私の場合は、断捨離で写真を見返すことができ、母親とは対立したこともあったけれど、それだけではなかったことを思い出せました。
そして、自分を愛してくれなかった人への怒りや、不信感を和らげることができたんです。
母に怒られたことも、家族とうまくいかなかったという記憶ももちろんあります。
でも、
「母は怒ってばかりだった」
という見方に、
「母は家族をつなごうとして頑張っていた」
という見方が加わる。
「うちの家族は仲が悪かった」
という記憶に、
「家族で笑っていた時間もあった」
という記憶が戻ってくる。
自分は愛されてないという思いがあるとしたら、それに一度疑問を持ってみる。
俯瞰してみることで、視点が変わり、こうやって過去の写真に巡り合うことができる。そして、自分が愛されていたことを思い出せることだってあるんです。
「親に愛されてないと感じる」記憶とどう向き合うか

今まで、親に愛されてないと感じたことは嘘ではありません。
だけどそれは、愛されていなかったという記憶を、私自身が大事に握りしめていただけなのかもしれません。
もちろん、親も不完全です。
親という立場になったからこそ、いつも正しくない自分がいることも分かっています。
叱ると怒るは違うと言いますが、何かを子供に伝えるときに、愛ある口調で伝えることができない親であることは事実です。
ただ、本当に子供に愛がないわけではない。
母の愛情は、私が受け取りやすい形ではなかったのでしょう。
私の思い通りの愛情表現ではなかったんだと思います。
優しい言葉ではなく、心配や注意、怒りとして表れていた。
寄り添う態度ではなく、否定的だったのかもしれない。
だけどそれは、愛されていなかった証拠ではないと感じました。
片付けを通じて自分の気持ちを整理できた理由
今回の断捨離は、物を整理するために始めたものでした。
けれど写真を見返したことで、長い間持っていた過去への思い込みも少し手放せたように感じます。
写真は、ただ昔を懐かしむためのものではありません。
- 自分が頑張っていたこと。
- 誰かと笑っていたこと。
- 自分を見てくれていた人がいたこと。
- そして、自分が愛されていたこと。
それを思い出させてくれるものなのだと思います。
私の記憶はいつでも、人に愛されていないというものでした。
でも、写真の中の私は、とても楽しそうで、幅広い年齢層の、たくさんの人々に囲まれて、笑顔あふれていました。
それに気づくまでの私は、心のベクトルが自分だけにしか向いていませんでした。
でも、私と写っている人々は、
その写真に写っている私自身は、とても明るい笑顔だったんです。
それは、自分が気づかなかっただけで、本当は、たくさんの人に愛されていたんだよというメッセージに思えました。
そう思えたことが、今回の断捨離で見つけた、一番大切なものだったのかもしれません。
